ベルリンの壁

ベルリンは現在ドイツの首都ですがドイツの他の街とはずいぶんちがった雰囲気の街です。
たぶん記録的な冷夏となる今年のドイツの夏に久しぶりに太陽が戻ってきたこの週末、ベルリンの街はどこも賑わっていました。
蚤の市にでかけた帰り偶然乗った路線バスがチェックポイント・チャーリーの近くのバス停に止まったので降りて散策することにしました。


50年前の1961年8月13日に当時の東ドイツベルリンの壁が作られ始め、この日を境に壁を越えようとしてたくさんの人が射殺されます。


1983年夏、西ベルリンのユースホステルに数日滞在して1日ビザを取得して東ベルリンを訪ねました。1日ビザには25マルクの強制両替がセットになっていて当時の西と東の物価は10倍の差があると言われていましたが観光客相手のカフェやテレビ塔の入場料は西とおなじ価格設定で1日すごすとほぼ両替したお金はなくなっていました。


東京で最初にドイツ語を教えていただいたドイツ人の先生は東ベルリンの出身で壁が出来る前にスイスに亡命した方でした。
非常にポジテイブでクリエイティブな人でしたが授業中に壁の話をするときはとても哀しそうな表情で「私が生きているうちに壁がなくなることは無いでしょう」と語っていました。

そのわずか数年後に壁が崩壊したときにあの先生はどこでこのニュースをどんな気持ちで聞いているのだろう、と感慨深かったのですがあれからもう20年の歳月が流れました。



壁のあったその通りはその名も「マウアーシュトラーセ」(壁通り)という名前で今は壁建設当時からの歴史が写真と解説で歴史を振り返ることができるようになっています。
壁を越えようとして射殺された人たちの名前もその生年月日と没年とともに明記されています。


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壁の向こうに自由を求めてたくさんの人が命を落としたのにもかかわらず20年経ってみて東ドイツ時代を懐かしむ人も多いようです。
失業や競争がなく基本的な生活が保障されていた以前の生活の方がよかったと思う人が3割にものぼるそうです。自由の対価はいろんな犠牲がつきものです。
数年前に知り合った子供時代を東ドイツですごし今は旧東ドイツの地方都市で市会議員をしている60代の男性が「私たちの子供世代の人たちには政府に頼るのではなく自分の頭で考えてよい社会を作っていこうとする人が増えてほしいものです」と話していたのが印象的でした。



街歩きで歴史を振り返った1日でした。



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